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主にニコマスについて
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14番目の月に対するマイリストコメントに「歌詞が意味深」とあったので、ちょっとばかり解説というか。
「14番目の月」はまだ荒井由実時代のユーミンの曲で、さすがに私もリアルタイムではありません。どメジャーではないかもしれないですけど、スピッツがカバーしたり、また映画「さよならみどりちゃん」の主題歌でも奥村愛子のカバーで使われたりしていますし、やっぱり知ってる人は多いと思います。

基本的には単純に「曲が好き」というだけで作ってます。が、作ってる間は、この歌について思うところがありました。

投稿者コメに私は「フィールヤング~」と書いてますが、フィールヤングは少女漫画雑誌・・・少女漫画じゃねえな。「ヤングマガジン」「ヤングジャンプ」あたりのポジションの女性漫画版ですたぶん。ヤングついてるし。分厚いけど。
そのフィールヤングに連載されていた「さよならみどりちゃん」というマンガを、なんとなくイメージして作ってます。
MMDでの春香のポーズも、そのマンガの絵からだいたいパクってます。最初に「Q」ってあるのも、さよならみどりちゃんの単行本の表紙がそうだからです。作者の南Q太のQですけど、この動画としての意味はありませんw いや、さよならみどりちゃんを元ネタにしてますよーって言ってる意味があるな。
ところでそれで思ったのだけど、これまでMMDでモーションつけるとき、PVからというのもあるけど、PCの前で自分でポーズとってってやってたんだけど、そうかマンガを参考にすればいいんだな。

このマンガは映画化されており、上に書いたようにこの曲のカバーが主題化に使われてるのですが、映画のほうは私は見ていません。

フィールヤングは「どう?おしゃれでしょ!」と言ってくる感およびうっすらとしたサブカル感があって、そこが好きで嫌いで好きなんですよねw

かくのう!




 *****


「さよならみどりちゃん」は、恋人ではない男と関係を持ちそれを切れずに付き合っている(恋人というわけではなく)女性の話です。不倫ではないんですけどね。
決して肯定的に描かれているわけではなく、なーんというかもやもやとした微妙に居心地の悪い共感を、感じる人には感じるマンガなんじゃないかと思います。

このマンガは駄目な人にはまったく駄目だと思います。出てくる人物がみんな、駄目な人間だから。たとえば、正しいことを求める、また正しくあろうとする傾向が強い人なんかは、受け付けられないんじゃないかなあ。あるいは、同じような経験があってそれがトラウマになってたりする人も、駄目かもw

実際、これを肯定しちゃうとしたら、やっぱりちょっとね。
マンガでも、主人公の女性が男に好きだと告白して関係が終わることで終わります。一応、関係を終わらせたことを「○」とする話の終わらせかたしてます。一応、ですけど。

さて歌の「14番目の月」のほう。
これも告白するまで、告白して付き合う前の段階を歌った歌ですけど、こちらのほうは思いっきりそれに肯定的です。告白したら(それで恋人として付き合うことになっても)あとは月が欠けていくように覚めていくだけで、そしていつか終わる。それよりも、告白する前の月が満ちていく期間こそが楽しい、いい、素敵だ。という歌です。
「告白して終わり」であることは同じなんですけど、歌とマンガは正反対です。
(・・・正反対ではないですね。「さよならみどりちゃん」も告白前を肯定的には描いてないものの、どこか捨てられないものというか、否定しきれないもののように描いている)

私はこの歌の歌詞にはまったく同意も共感もできませんw
少なくともある程度の年齢となってからは。
恋愛は付き合い始めてからこそです。私にとって。

しかし人によってはこの歌が歌うように、付き合うまで(恋愛初期)のときめき、期待感、ドキドキ、そういったものこそが恋愛であり、またその良さ(価値)であるでしょう。
でも私にとっては、恋愛は付き合い始めてからこそのものです。付き合うまでの期間はあまり興味がなく、興味がないというかそこに良さを見出せません。
よって「14番目の月」に共感するところはほんと、ありません。

まあ、自分のことでなく人のそれを見る分には(マンガ等でも)、ある種の郷愁的なものを感じて悪くないんですけどね。
あ。今は恋愛自体に興味がもうなく枯れておりますのでw

さて、以上もちろんこの曲は(またマンガも)恋愛についてのものなのですが、今回動画を編集しながら、うん、やっぱりニコマス・アイマスに重なりました。
ニコマスも月が満ちるまでが楽しいのか。さらには、ニコマスも満月に至りあとは欠けていくだけなのか。
恋愛同様、私は全然まったくそう思ってません。

なんでも黎明期のカオス的な面白さ、楽しさ、活気というのはありますね。たとえばインターネットにもPCにもありました。音楽などの各ジャンルにもあったでしょうし、自動車や飛行機などにも。一種の「文化」みたいなものが形成されるものについては、ほんとなんにでもあるものだと思います。
それはわかります。
でも、私が求めるものはそれじゃないなあ。

脱線。
相撲や陶芸なんかでは、通は大成したものを楽しむよりも、これから評価され大きくなるだろう原石を見つけ育てることのほうがより強い関心、楽しみであるそうです。初期のAKBファンなんてのもそうかもしれません。インディーズ好きなんかもそうなのかな。
こうした趣味は、黎明期の楽しさを求める代替みたいなものかもしれま・・・いや違うかw

たしかに刺激を求める部分はあります。
でもそれは、私にとっては恋愛でもなんでも作る・生み出すものであって、環境とか状況とかそういうものではないのです。

祭り的な活気、盛り上がりももちろんとてもいいものなんですけどね^^
ただそうしたところではわりとちょっと離れた場所にいる、中心に入ってけないってのが私にはあるかもしれない。楽しんではいるんですけど。

そういう黎明期の楽しさ、祭りの楽しさというのは終わります。告白してもしなくても。14番目の月もそれを歌ってます。
それこそが恋愛とするなら、恋愛もまた確実にいつか終わる。ニコマス・アイマスの楽しさもそこに見出してるならば、終わるでしょうね。
だからいい?
んーw そこは私にはわからないw
恋愛は相手が人間ですから自分だけではどうしようもないところがありますが、アイマスは違います。一度生み出された以上、半永久的になくなりません。それを楽しめるかどうかは自分次第であって、その意味で私にとってニコマス・アイマスは終わると決まってるものではありません。
飽きることが絶対にないとはやはり言えません。でも、告白=たとえば引退宣言をすることもないんじゃないかなあ。

繰り返すけどもちろん、盛り上がるのも楽しいし嬉しいですけどね。

そういうわけで、この動画にメッセージがあるとしたら、14番目の月の歌詞そのままではありません。
だから最後、「14番目の月が一番好き」で春香を泣かせ、そしてその後、笑顔で前を見させているのです。・・・・・嘘です今考えました後付けですw

さてさてさらに。
この歌を今度は春香に重ねて・・・・いやそれはやめようww
まあ、春香は月が欠けるとなんて思わないと思うし、また春香の月はどんな形になっても(他人からは欠けたように見えても)欠けることはないんじゃないでしょうか。

なんか書こうとしてたことまだあったはずなんだけど、書いてる間にわすれちゃったので、追記するかもだけどおしまい。

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