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主にニコマスについて
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これまで、大人として(日本人の大人として)書かなかったけども。勢いにまかせ、書きます。

著作権は間違っている。

正確には、現行の著作権の運用は間違っている。

著作権法というのはなんのためにあるのか?
コンテンツがその作者の私有財産であるということを保証するためにあるのか?
違います。

コンテンツはその作者のものである。
今、だいたいそういう感じの理解のされかたをしてると思います。
でも大間違いです。

著作権はどうして生まれたのか?
これは、特許も似たようなものなのですが、特許なら技術・発明、著作権ならコンテンツ、文化、これらは社会のみなに共有されることこそ望ましい。
それらは私物ではなく社会の共有財産であってこそ、文明は発展し、文化は豊かになる。
そういう思想で生まれたものです。

著作権は、ある程度に「限定して」その作者に権利を認め、利益に通じる道を与えます。
そうしないと、一子相伝の北斗神拳のように、技術やコンテンツが秘匿されかねないからです。
そならず、世間に公表され、広く自由に使われることこそ望ましい。
だからこそ著作権で「限定して」権利を認めるし、そして期限もあるのです。
私有財産的なものじゃあ全然ない。
真逆なのです。

もちろん、社会に貢献した者、つまりみなが広く利用したり楽しんだりできるものを提供した者には、ただ無償ではなく(そうだと先に述べたように秘匿されてしまう)、利益が還元されることは望ましい。
だから著作権という概念自体に反対はしません。
ですが。
現状の著作権法の運用は違います。
コンテンツを私有財産かのように扱っている。
社会の共有財産ですよって提供してるのではなく、これは俺のもんだぜってなってる。
それじゃ著作権法の本来の意義とまったく反対のものです。
社会に貢献してるから、利益を得る権利を与えてんだよ。
共有財産じゃねえ、俺のもんだっていうならそんな権利与えねえよ。そう思うなら発表せずしまっとけよ。

以上。
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Comments
無題
初めまして。ブログを以前から拝見させて戴いていました。ニコマス歴1年程、最近Pデビューして動画を数本投稿した程度の「ほぼ見る専」です(笑)
ニコニコ動画を愉しんでいる者として、また社会人であれば大なり小なり関わってくるこの著作権について自分も色々と考える事が多く、今回の記事も大変興味深く読ませていただきました。
そうは言っても今回の「著作権はコンテンツを作者の私有財産と保証するものではない」という記述に目から鱗が落ちてる程度の認識しかありませんでしたが(笑)
世間でも著作権というとソフトの違法コピーや海賊版DVDのような(明確に)悪質な事件があり、これを取り締まるために著作権法が仕事を果たしたという話題、もしくは通常の社会生活の中でも「あれが引っ掛かった、これも引っ掛かる」という事例を挙げる情報がほとんどです。
またそれに対して「こんな所まで引っ掛かるのはおかしいのでは」といった話題は殆ど見かけませんね。
著作権はどこから適用して、どこから適用しないとすれば皆の為になるのか。ぽPさんはどのようにお考えでしょうか。
自分はプレミアム会員ではないので、ニコニコ動画とそのコンテンツ、コンテンツ内の著作物には一銭もお金を払っていません。この状況は自分にとって虫が良すぎるのかな、と考える事はあります。勝手に使うなと削除するぐらいなら、受け手の自分に何か出来ることはないんですかと言いたい気持ちもあります。
自分の場合「共有されるのが嫌なら発表するな」と言って本当に発表されなくなったらどうしよう、とか考えるようなヘタレなのでこういう発想になってしまうのでしょうか(笑)

色々長々と失礼致しました。ぽPさんには自分の作りたいものを作って頂いて、また見させて欲しいと思います。これからも応援しています。
ひとりの通りすがり 2010/01/14_Thu_20:18:39 編集
無題
はじめまして。コメントありがとうございます。
勢いで書いたエントリーですが、社会人としてはこのようなことを大っぴらに言うことはよろしいことではないと、若干後悔していたりもしますw

上のエントリーは、実のところ半分は嘘です。
著作権という概念は、実際のところ最初から、権力者(王)が商人(出版業者)に与えた特権、つまりビジネス的なものでした。
ただ、すぐに反発も生じました。その反発の内容は、エントリーに書いたような、文化は私物ではない、(発明や発見、新技術等と同じく)共有されるべきものだ、というものです。
当初から、このせめぎあいがありました。そしてそれは欧米では、今も続いてます(と思います)。

別に欧米は素晴らしいと言いたいわけではなく、欧米だって著作権についてはどんどんビジネス化、私有財産化は進められてるように思います。
ただ、それに対する反発もまた、きちんとした形で、ある(たぶん)。

著作権はどれだけの範囲で適用されるのが適切だと考えるのかというご質問ですが、わかりませんw
すみません。
そのときどきて変わるものでもあるでしょうし、結局は、「常に」「議論によって」適用範囲が決められ続けていくものではないかと思います。
問題は、この議論が日本では成立しそうにもないように思えることです。

うん。予想通り長文になりそうなので、分けますw
2010/01/14_Thu_22:34:00 編集
続き
著作権という概念が生まれた欧米においては、ビジネスの論理に基づき文化の囲い込み、私有財産化を進める勢力と同時に、それに異論を挟む勢力、文化は社会の共有財産たるべきものではないのか?という思想がきちんとあり、議論にもなっているように見受けられます。
一方で、日本以外のアジア諸国においては、日本同様著作権は欧米から借りてきただけの概念ですが、法律なんてものは時の権力者が勝手な都合で定めてるものという考え方が根強くw、庶民は庶民で法律なんて気にせず(リスクとしては考慮するでしょうが、善悪の問題とは思わず)庶民の理屈で行動してます。

日本はちょっと特殊に思えます。
著作権法自体は日本でもだいぶ昔から定められてますが、一般にそうした概念が浸透したのはごく最近と言えると思います。
そして、やはり欧米から借りてきただけの概念です。
にも関わらず。
たぶん80年代以降、著作権著作権と宣伝されるようになり世間に広まると、それはもうほとんと疑うべきところのない正しい概念だと、あっという間にそのようになってしまったように思います。

おそらく宗教が(少なくとも自覚的には)日本人一般には善悪等の価値基準として働いていないことなどの理由で、日本人一般にとって世間(同時に建て前)が価値基準となります。
世間的に「これが正しい」とされると、それを受け入れる。それが善悪などの価値判断となる。世間に「コンテンツは作者のものですよ!」と流布されると、あっという間にそれに疑問を抱く者はいなくなる。それに異論を挟む余地はなくなる。議論は成立しなくなる。
こういう流れがあるように思ってます。

昔は当たり前のように、音楽をダビングし、友人にも渡してた。ラジオをエアチェックしていた。
もちろん、デジタル化にともなう複製技術の向上という点もあるので、そのままの感覚でいいのかというのはありますが、コピーすることを悪いこととなんて思ってなかった。
それがほんの20年30年の間に、それが悪いことであると疑う余地もないかのようになっている。
これは気持ち悪いことじゃないでしょうか。

うーむ、さらに分けますw
2010/01/14_Thu_22:57:11 編集
続きの続き
著作権には期限があるってところの意味に、もうちょっと気づくべきとは思います。
ビジネスの論理の元に生まれた著作権ですが、文化は社会の共有財産であるということを否定出来なかったのです。
だから期限と言うものがある。コンテンツが私有財産ならば、期限なんてものも設定するのはおかしいでしょう。

日本においては、「著作物は作者の私有財産」みたいな解釈が広められ、そう理解され、そしてそうなるともうどこまでが適正か?といった議論もろくに成立しない。
「共有財産であるべきである」という考えがあってはじめて、議論も成立すると思います。そこがすっかりもう忘れ去られている。
そこに、文句も言いたくなるのです。

実際のところ、古代に役職が世襲化し一族の独占的権利=私物となり貴族となったように、日本でも奈良時代の公田が結局は私物化し荘園となったように、また村落の共有林が有力者の土地と化したように、共有地であった羊の放牧地が囲い込まれ地主の私有財産となったように、
文化も一部のものの私有財産となっていく流れでありそれは止められないものではあるのだろうと、思ってはいます。
権利は持つものと持たない者とを作り、持つ者は貴族化していきます。マルクスは資本主義が発展すると共産主義になると居いましたが、私は資本主義のあとにくるものは中世だと思ってます。

話がだいぶトンデモの方向にいきましたw
つまりは、このエントリーで言ったようなことも時代の流れの中でなんの意味も持たないことでしょう。
さらに日本に暮らす社会人としては、表立って口にすべきことではなく、よく言っても厨二的考えでしょうw
ただたまには愚痴を言いたくなるのです。

という締めで申し訳ない><
コメントありがとうございました!
2010/01/14_Thu_23:34:56 編集
おっと
あ。ごめんなさい。
えと。
おそらくコメントいただいたのは、ニコマスを楽しんでいる方として、しかし同時にニコマスというものは著作権法的に真っ黒であるということから、
違法なものを楽しんでいることに対するちょっとした葛藤みたいなものからその解決のヒントを求め、コメントいただいたものではないかと思います。

解決のヒントとなるかどうかわかりませんが、私がどういう感覚でニコマスを楽しんでいるかを書きたいと思います。
私はエントリーに書いたように、発表されたものは基本的にはすで作者のものではなく、みなの共有物だという考えです。
同時に、それは結局は現状、私個人の考え・価値観に過ぎず、社会としてはコンテンツは(ほぼ)作者のものという考え方であると認識してます。
個人の考え方と社会の考え方が異なるというケースはおそらく誰にでも少なからずあると思いますが、結局のところ、私の場合、個人的にはそのような考え方なのでいわゆる「良心の呵責」はほぼなく、あるのは社会の善悪に反することを行うことによるリスクとの天秤となっています。

との返答で一助になるでしょうか。
ではでは。
2010/01/14_Thu_23:57:38 編集
御礼
こんにちは。
先ずは、ありがとうございます。
自分の悪文(ぽPさんのと見比べるとホントよくわかる)にこれ程までに懇切丁寧なお返事をいただき、とても感激しました!
あるテーマについてニュートラルな視点があり、そのうえで自分なりの考え方を誰にも判りやすく伝える能力が備わっているのがスゴイです。自分が何に悩んでここに書きこんだのかまで、ほぼ言い当てられてしまいましたね(笑)
自分は本来典型的な小市民というか、法の善悪よりも決められてる中で立ち回り方を考えるタイプで、ニコマスに対しても良心の呵責みたいなものはそんなに無いのですが。著作権については賛成にせよ反対にせよ、一方的な言い方ばかりが目につくようで、あまりどっちにも乗れないなぁというのが実感でした。
では本来はどうある事が良いのだろうかと考え始めていた所で今回の記事を見かけて思い切ってコメントをしてみました。PV作品のファンである自分にとっては著名人も同然の方なのですが、本当に予想以上の収穫がありました。
これからも自分なりに意見を持つにあたって、色々な意味でぽPさんのコメントは勉強になりました。改めて有難うございました。
これからも動画を追っていきます、それでは。
ひとりの通りすがり 2010/01/16_Sat_11:25:49 編集
無題
勢いにまかせた(好きな動画が権利者削除されたもので)長文で、お恥ずかしい限りです。
自分の動画(Youtubeのほうですが)が削除されたときは、仕方がないかあくらいの思いだったのですけど。

著作権について語られるとき、作者の権利(作者のものだ!)って視点ばかりで語られてると思います。
一方で、作品は作者のものではない、誰もが自由に使える共有財産だという視点もあるわけですが、それはほとんど語られることがないように思える。
著名な学者や文化人・アーティストあたりが著作権のありように疑問を呈してはじめて、どうあるのが良いのかという議論が俎上に出てくると思うのですが、あまり期待は出来ないかなあw

コメントありがとうございした。
2010/01/20_Wed_19:35:07 編集
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